さて! この柱は何様式だっ?
チュニジアの首都は地中海に面したチュニスの街ですが、その起源はカルタゴの時代までさかのぼります。
カルタゴは、紀元前9世紀から紀元前3世紀に繁栄した古い時代の国家・・紀元前の話なので想像できにくいですが、日本では縄文時代にあたりますね。
このカルタゴ・・地中海を舞台に海上交易をおこない、現在のイタリア南部のシチリアやモロッコといった周辺地域を植民地に取り入れ栄華を極めていました。
そのため、紀元前3世紀頃にはローマ帝国と衝突するようになり、有名なポエニ戦争が勃発するようになります。
こうした繁栄ぶりを今に見ることができるのが残された遺跡。
現在、カルタゴ遺跡は世界遺産に登録されています。
ポエニ戦争によってカルタゴが滅亡し、その後の歴史上ではカルタゴの地がローマの植民地となっていきます。
そのため、カルタゴの遺跡と重複してローマの遺跡も混在してますよ。
(ブログ後記)
カルタゴといえば、誰もが詳しくは知らないにしても聞いたことはあると思います。教科書や歴史の本にも載っているので、カルタゴの遺跡も期待して見に行ったのですが・・・しかーし!
ローマ時代の遺跡のように残っていませんでした。
それは、ポエニ戦争で敗北したカルタゴをローマが徹底的に破壊したためです。
そして、二度と繁栄しローマの脅威にならないように塩が撒かれたとも言われてます。
塩は植物を枯らす作用があるので住むのに適さない土地になりますから。
財宝を期待していただけに・・・うぅ~ん(笑)



2 件のコメント:
インディ先生・・
イジワルですねぇ~
助手のたまこは・・
「コロニアル式だったかしら?」と
恐ろしい短期記憶力低下の持ち主でして・・。
思わず過去のブログに頼っちゃいました。
20本の溝でしょうか?
だとすると・・ドーリア式で???
うん~自信はジェンジェンありまジェン~
これは、コリント式ですね。
一番の特徴である柱頭の装飾にアカントスの葉の彫刻がみられるところです。
でも柱には、縦方向に条溝があるのではということで迷ってしまいますが、
前にドーリア式→イオニア式→コリント式の順で発生したといったとおり新しい様式は古い様式をベースに発展しているので混在してていいんです。
この場合は、おそらく細身の柱であることからイオニア式の柱を踏襲して作った柱なんでしょうね。
たまこ助手! お正月返上ですぞ(笑)
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